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「14万ニューロンのハエ」が、フィジカルAIに問いかけること──Physical AI|WIRED Futures Conference 2026 レポート

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「このセッションには、台本がありません」

モデレーターを務めた『WIRED』日本版編集長の松島倫明が、そう告げて始まったのは、「WIRED Futures Conference 2026」を締めくくる最終セッション「Physical AI:フィジカルAIで加速する日本の産業創造」だ。東京大学名誉教授でソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一と、みずほフィナンシャルグループ執行役員の中馬和彦が登壇した。

人工知能(AI)の論点は、言葉や画像の生成から、物理世界で何ができるかへと移りつつある。そのフィジカルAIの文脈で語られやすいのが、今回のセッションでも議論された「ヒューマノイド」だ。ものづくり立国である日本なら、この領域で勝つことができるのではないか──。そうした期待に対して、登壇者のふたりが投げかけたのは、より手前の問いである。

たった100万ニューロンで、社会を構成するハチ

そもそもフィジカルAIとは何か。それを考えるにあたり、暦本はそのキーワードが先行しすぎていると指摘する。

「LLMの発展の凄まじさもあり、AIイコールLLMと捉えられがちです。しかし、そもそもAIは、ロボティクスとコンピュータービジョンを組み合わせられるかという70年代の研究のひとつの柱でした。フィジカルAIは常にメインストリームだったんです」

つまりフィジカルAIは、大規模言語モデル(LLM)の成功を受けて新しく現れた分野ではない。むしろ問題は、この数年で桁違いの成果を上げたLLMの勝ち方が、物理世界にもそのまま持ち込まれようとしていることにある。より大きなモデルを、より多くの計算資源で回したほうが強い。各社が資金と電力を注ぎ込んでモデルの規模を競い合うその構図を、暦本は次のように語る。

「いまのLLMは、どちらかというと計算資源がそのまま強みとなる軍拡競争的な世界です。しかし、フィジカルAIの場合は、そうしたあり方が必ずしも適しているわけではありません。リアルタイムに、リアルワールドで軽く動くほうがいいし、ローカルで動くことも求められるからです」

暦本純一|JUNICHI REKIMOTO...

暦本純一|JUNICHI REKIMOTO
情報科学者。東京大学名誉教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアフェロー。世界初のモバイルARシステムを1990年代に試作、マルチタッチの基礎研究を世界に先駆けて行なうなど常に時代を先導する研究活動を展開している。現在はHuman Augmentaion(人間拡張)、Human-AI Integrationの研究を推進している。2020年にはソニーCSL京都研究室を創設、先端技術と文化の融合を目指している。情報処理学会フェロー、ACM SIGCHI Academy会員。


PHOTOGRAPH: YUTARO YAMAGUCHI

だからこそ、AIからの視点でみたとき、リアルワールドは未開拓の地として残されている。第一次産業も、防災も、産業インフラも、人類の生活を支えるという意味では待ったなしの領域だが、それを解くための道具立ては、まだ収斂していない。

「物理世界の振る舞いをAIに予測させるワールドモデルに取り組む人もいるし、いろいろなアプローチがあって、何が主流になるかはわからない。そこがおもしろいところではありますね」

そう語る暦本は、ショウジョウバエの例を挙げる。グーグルは、ショウジョウバエの脳の配線図を解析・マッピングすることに成功した。それを用いて、仮想空間上のルービックキューブを解かせるといった計算実験が、SNSでも毎日のように披露されている。暦本が注目するのは、その脳の小ささだ。脳の規模を測るいちばん素朴な目安は、神経細胞であるニューロンの数になる。人間の脳が約860億であるのに対し、ハエは14万ほどしかない。AIのモデルに比べれば、桁違いに小さな知能である。

「にもかかわらず、ハエは食べ物を食べ、障害物をよけ、子どもを産むという営みを完全にやってのけます。ハチは100万ニューロンほどで巣をつくり、女王蜂のもとで労働し、社会を構成する。大きなモデルではないのに、なぜこれほど機能するのか。そう考えると、ひとつの巨大な知能ではなく、小さな知能が群れとして社会を回す──それもまた、フィジカルAIの生態系の、ひとつのあり方なのかもしれません」

「14万ニューロンのハエ」が、フィジカルAIに問いかけること──Physical AI|WIRED Futures Conference 2026 レポート
PHOTOGRAPH: YUTARO YAMAGUCHI

農地の雑草を、手作業で抜くヒューマノイド

それでも、フィジカルAIへの期待は、人の形をした機械に集まっている。いまある環境が人に合わせてつくられている以上、それは現実的な解にも見える。だが、中馬が疑うのは、あらゆるものが人を基準に組み立てられているという状態そのものだ。

「いまは、人だけが知性をもち、AIが存在しない世界が前提になっています。ゆえに、あらゆるものが人のスケールを基準としているわけですが、それは生物史で見るとごくわずかな期間です。恐竜の時代も、微生物の時代も、ほとんどの作業やオペレーションは人の手の長さや跳躍力を前提にしていません。とすると、ひとつ考えていくべきなのは、むしろマイクロな知性のありかたも含む生態系やエコノミクスが、成り立つかもしれないということ。そうした意味で、世の中の壮大な再設計がこれから始まる、と言えますね」

中馬和彦|KAZUHIKO CHUMAN 株式会社...

中馬和彦|KAZUHIKO CHUMAN
株式会社 みずほフィナンシャルグループ執行役員CBDO。KDDIのオープンイノベーション事業責任者として数々のスタートアップ投資を通じて「イノベーティブ大企業ランキング」7年連続1位を獲得。新規事業開発で「バーチャル渋谷」「αU」などメタバース・Web3プロジェクトや、高輪GWシティ「空間自在プロジェクト」などを牽引。現在は、みずほフィナンシャルグループの新規事業を統括。経済産業省J-Startup推薦委員、文部科学省次世代オープンイノベーション懇談会委員、経団連スタートアップエコシステム変革TF委員、東京大学大学院工学系研究科非常勤講師、一般社団法人日本デジタル芸術スポーツ文化創造機構理事、一般社団法人Metaverse Japan理事など多数歴任。


PHOTORAPH: YUTARO YAMAGUCHI

加えて中馬は、「人間はヒューマノイドに置き換えられるのか」という問いも退ける。

「ヒューマノイドの性能の素晴らしさには、わたしはあまり関心がないんです。それが果たす役割や目的が重要なのであって、人の形や動きの再現性を高めたところで、人以上にはならないからです。社会のシステムは目的が明確なので、それを全体として最適化したとき、人型のロボットが再配置されることにはならないのではないでしょうか」

暦本が挙げた例を借りるなら、「農地の雑草を手作業で抜くヒューマノイド」が全体の社会システムに果たして配置されるか、ということだ。人間はヒューマノイドに置き換えられるのか、という発想を中馬が的外れだとするのは、社会のシステムが人ではなく目的でできており、掃除も、ものづくりも、農業も、求められているのは、きれいにすること、つくること、刈り取ることだ。人の動きを再現することではないのである。

「ごくシンプルな、雑草は無農薬で取り去るというひとつの答えが、リアルワールドにはすでにあるわけです。その形がヒューマノイドなのか、レーザー装置で焼くのか、あるいはハエの脳を入れたドローンなのか。答えはひとつではなく、要所要所で最適解が探索され続ける。そこに日本人の創意が入っていけば、おもしろくなると思います」

フィジカルAIの勝ち筋は「ものづくり立国」の延長線上にあるか

ものづくり立国である日本の成熟した製造業の現場には、暗黙知もふくめたノウハウやデータが豊富に蓄積されている。だからこそ、日本はこの領域に期待を寄せ、光明を見いだそうとする。一方で、フィジカルAIをLLMモデルの延長線上だけで語ることができないように、ものづくりの文脈だけで語ることもできない。暦本は、そんな実感を次のように話す。

「国産メーカーのロボットを買おうとして中身を聞くと、安全のためにNDAの締結といったさまざまなプロセスを経る必要があります。しかし、例えばUnitree Robotics(宇樹科技)であれば、『GitHubに置いてあるよ!』で終わり。ノリがまったく違うんです」

暦本は、こうした差異を、近頃SNSをにぎわす世界人型ロボット運動会(通称「ロボット五輪」)にも見る。

「感動したのは、転んで、火花が出たり、足がもげたりするロボットがたくさんいたこと。その潤沢さもさることながら、工事の道具のように使い倒して改善してなんぼ、というマインドは日本ではなかなかもちにくい。日本だと、人型のロボットを大事に扱って、まずあの場で絶対に転ばないことに心血を注ぐでしょう」

「14万ニューロンのハエ」が、フィジカルAIに問いかけること──Physical AI|WIRED Futures Conference 2026 レポート
PHOTOGRAPH: YUTARO YAMAGUCHI

壊すことを前提に数をつくるのか、壊さないことを前提に1台を仕上げるのか。その違いはそれぞれが築いてきた産業構造によるものではないか、と中馬は指摘する。

「クルマは、安全・安心が至上命題の製品ですから、日本の部品製造業者はそのためのサプライチェーンのなかで磨かれてきました。しかし、ロボットの部品で追いかけるのは、より省電力で、より摩耗に強いといった、別の評価軸がある。Unitreeのロボットに使われる部品は多くが中国製で、製造側もロボットの製造に最適化された基準のもと、バンバンつくるなかで磨かれていく。それを考えると、日本のものづくりの延長線上で安易にフィジカルAIの強みを語ることに、少し違和感を覚えることもあるんです」

光明は、目の前の課題を解いた先に

では、日本の勝ち筋はどこにあるのか。暦本が引き合いに出したのは、日本のコンビニ産業だ。

「日本のセブンイレブンは、米国の流通網に代わる第三極を日本につくる、といったことを最初から考えていたわけではなかったはずです。固有の進化を果たした結果、世界一の流通エコシステムを築いていたというほうが正しい。フィジカルAIは産業領域が広すぎるがゆえに、幸いにして答えがひとつに収斂するわけではありませんから、農地の雑草をどうするか、洪水にどう備えるかといった、目の前の課題を解いていくことに腐心する。その先で、結果的に『いつの間にか誰も追いつけなくなっている』という状況が生まれるのだと思います」

これに、中馬は次のように呼応する。

「スマホは、気がつけば世界中の人が同じものを持ち、Netflix、YouTube、TikTokと、ユーザーが使うオンラインベースのサービスも、世界中で同じものに収束しました。しかし、リアルな環境は、国土も人口も文化も、そして問題も国ごとに違う。物理世界で動くフィジカルAIにおいては、まずは自分たちの生活をより良いものにしていくことから始め、それごとに個別のフィジカルAIのあり方を模索していく。非常にローカルな話なんですね」

「14万ニューロンのハエ」が、フィジカルAIに問いかけること──Physical AI|WIRED Futures Conference 2026 レポート
PHOTOGRAPH: YUTARO YAMAGUCHI

中馬によれば、テスラのヒューマノイド「Optimus」も、その典型だ。自社工場の自動化という目的が先にあり、車体を巨大な一体成形でつくる「ギガキャスト」を導入し、その延長でオプティマスを開発した。目的から逆算しているからこそ、Unitreeのロボットとも異なるものになっている、というのが中馬の見立てである。

土地ごとに異なる課題から、それぞれに異なる形の知能が生まれ、適応し、棲み分けていく。それは、カンファレンスが掲げた「AIの生態系を、共につくる。」というテーマを、物理世界の側から描き直す見方でもある。

AIがまとう身体が、人の形になるのか、ハエほどの大きさになるのか、はたまた大規模なレーザー装置になるのか。それを決めるのは計算資源の多寡だけではなく、それぞれの世界に存在する固有の文脈だということだ。

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申し込み期間:2026年10月8日(木)-11月8日(日)23:59/配信期間:10月8日(木)-12月18日(金)12:00

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