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柞刈湯葉・書き下ろし短編SF──『不老者ファーストジェネレーション』

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「老化はワクチンで予防できる」。そんな常識が到来した近未来。ただしワクチンがもたらすのはあくまで「不老」であって、「不死」ではない。つまり、事故や病気は普通に存在する、そんな時代。医師セキグチの専門は「中年科」。もうすぐ始まる午後の診察。セキグチの胸に、ある思いが去来する──。伊藤計劃の『ハーモニー』は「病気がなく老化がある」世界だけれど、本作はその逆。ありえるかもしれない社会を生きる人々の心の機微や行動規範を、SF作家・柞刈湯葉が鋭利に描き出す。

柞刈湯葉・書き下ろし短編SF──『不老者ファーストジェネレーション』

「老化は予防できる病です ワクチンを打ちましょう」

待合室の窓際に貼られた厚生福祉省のポスターは長年の日差しにさらされ、印刷された笑顔は病人のように青白く変色している。情報が色あせる理由はこの世にふたつある。誰も顧みないほど間違っているか、言う必要がないほど正しいかだ。

昼食のカップライスにお湯を注ぎながら、セキグチはモニター越しに待合室の様子を見ている。すでに接種を待つ子供たちがぽつぽつ椅子に座っている。母親に連れられて不安そうな顔をしている子もいれば、椅子の上にあぐらをかいてゲームをしている子もいる。午後の診察開始まであと17分。

定常化ワクチンの接種は満10歳から始まる。二次性徴が始まって男女の身体差が明確になり、次世代を生殖可能な体が完成すると、あとはその完成した体に血が流れ続けることで、細胞が少しずつ削られるように老いていく。それを防ぐ護岸工事をこの年齢で仕込んでおけば、成人する頃には、いつまでも老いない体が出来上がる。

彼らの姿を見るたびに、セキグチは息子があの歳だった頃を思い出す。10歳というのは体だけでなく、心も自立しだす年頃だ。注射を怖がる臆病者だと思われることを嫌い、連れていこうとする自分の手をほどいて、ひとりで病院に行ったあの日。今でも昨日のように思い出せる。

モニターを見ると、隅の方で他よりもひとまわり大きな子供がひとり、居心地悪そうにきょろきょろと周囲を見ている。おそらく中学生くらいだ。保護者らしき姿は見当たらない。

接種が遅れる理由はいくつかある。アレルギーなどの体質、制度の異なる国からの帰国、そして近年しばしば問題になるのが、

「家庭事情ですね、あの子は」

背後から話しかける声があり、振り返ると小児科のコウダがマグカップを持って立って、モニターの大きな子供を指している。

「知ってますか先輩。いま児童相談所にそういう部隊があるんですよ。ネットの情報を分析して未接種の子供を見つけてくるんです。たまに16歳とかの子が出てくるから、こっちもヒヤヒヤしますよ。あれは未成年のうちに打たないと効きませんから」

頭の半分で彼の話に相槌を打ちながら、セキグチは手にしたスプーンでカップライスをぐりぐりとかき混ぜる。コウダはぬっと首を伸ばしてセキグチの手元を覗き込み、

「おっ先輩は今日も“安全メシ”ですか」

と尋ねた。食べ続けても健康への長期的なリスクがない、という安全認証がついた食品だ。

別になければ不健康というわけでもないが、あれば健康について考えずに済む。

12年前に転勤してきたコウダはセキグチのことを「先輩」と呼んでいた。「先輩って先輩っぽい顔ですよね。先輩って呼んでいいですか」と言い、拒否する理由がなかったのでそのまま任せた。以来そのままセキグチを先輩と呼び続けている。

医師免許の取得年で言えば、コウダはセキグチよりも23年後輩らしい。ただ実年齢は明らかに23歳下ではない。「ナトリウム」「カリウム」のような旧課程の用語をよく口にするからだ。新課程の小中高で学んだ世代であれば「ソディウム」「ポタシウム」と呼ぶ。

噂好きの看護師たちの噂によると、コウダは医師にもかかわらず、週末には家でアルコールを摂っているという。となれば57歳のセキグチと同世代か、ひょっとすると年上の可能性すらある。いったん就職した後で、医学部に再入学して医師を目指す者は多い。「先輩」という言葉を執拗に使いたがるのには、そのような意図があるという邪推もできる。

ふやけたカップライスをスプーンでかきこむ。チキンとトマトの味がするので今日は水曜日だ。箱買いしているカップライスは上から順に取ると曜日と味の周期が一致する。栄養認証を得た商品なので毎日同じ味でもいいが、変化がなければ長い一週間がより長くなる。リズムを作ることで時間の一単位が1日から1週間になる。そのぶん時間が早く経つ気がする。

息子がいた頃は、食事に教育という要素があった。食材が料理になる過程を見せることで、人間の生活がどう成り立つかを教える意味があった。今では単なる栄養補給だ。パッケージを見さえしないので、口に入れるまで曜日がわからない。

診療開始まであと12分。セキグチはカップライスの残りを平らげて、紙パックの緑茶を飲む。それらをゴミ箱に捨て、歯を磨く。食前食後の口内環境が同じになるまで念入りに磨くと、今日は水曜日だった、という情報だけが口の中に残る。

序列の作り方がわからない。

というのが、不老化を達成した人間社会の最初の悩みだった。

人が集まれば組織ができる。組織ができれば序列が必要になる。かつては年功序列という素朴で便利なシステムがあった。外見の老化がそのまま人生経験の証とみなされ、それを積んだ者が上に立つことで組織の秩序が保てる。老いは誰にでも平等に訪れるので、いま年長者の権力に耐えている者も、いずれ自分が上に立つという期待が持てる。実態はさておきそういう建前を置くことで、おおむね組織の安定した運営が見込めた。人間社会の長い歴史がそのように回ってきたのだから、実績のある仕組みと言えた。

セキグチの生きる時代はそうした秩序が消えた最初の世代だ。

誰が年上で、誰が年下なのかわからない。もちろん調べればデータとしての年齢を入手することは可能だが、組織を秩序立てる序列というのはそうした単なる情報ではない。老化によって発生する、有無を言わさぬ存在感こそが序列の源泉なのだ。

ところが今では、老化が経験の指標ではない。年長者にとっては、自分の子供よりも年下の若者が、自分と同じような顔で職場を歩き回っている。そうした社会をどう統率すればいいか、経験がないため誰にもわからない。第一世代らしい手探りがあらゆる組織に求められていた。

セキグチにとってのそれは、自分をやたらと「先輩」と呼びたがるコウダという医師との距離感だった。相手を「先輩」と呼び続けることで、自分が「後輩」であることを身体に刻み込もうとしている、彼なりの序列意識なのではないか、といったことを考える。

昼休みを終えて診察室の椅子に座る。

座った瞬間にセキグチは工場ラインの工員になる。ベルトコンベアのように流れてくる患者たちひとりひとりの状態を素早く確認していく。愛想と書かれたシールを自分の顔に素早く貼り付けて、こんにちは、今日はどうされましたか、と話しかける。

「すみませんねえ、最近ね、起きた時に、なんかこう、指の関節がねえ、違和感があって、うまく動かなくて……」

カルテによると彼女の名前はオノデラとある。歳は自分の2つ下、来院は5年ぶり。

セキグチはうんうんと頷いて、以前いらした時は寝付きが悪いとお話されていましたが、それ はこれこれの原因で、これこれの自律神経が、といった所見を述べていく。すると、

「あら。前も先生に診ていただいたんでしたっけ」

と聞かれる。ええ、そうでしたよ、と頷く。カルテにそう書いてあるから、そうなのだろう。

セキグチの専門は中年科だ。加齢に伴なって発生する、人体の不具合を扱う科だ。昔は数多くの診療科に分かれていたが、定常化ワクチンの普及から数十年が過ぎて「中年」が希少になると、それらは単独の診療科に集約された。

診察室に並ぶのは、コウダの言う「児童相談所の部隊」が見つけられなかった子供たちの成れの果てだ。加齢を抑える酵素を体内で合成できず、1年ごとに細胞が老いていくのを止められない。動脈は硬くなり、軟骨は薄くなり、骨は脆くなる。それに引きずられるようにして心も変化する。「すみませんねえ、こういう歳になると、ひとの顔がね、覚えられなくなっちゃって……」

オノデラは卑屈にそうぼやいた。老いゆく人間は自身のあらゆる不具合を老化によって説明しようとする。責任は自分ではなく老化、つまり子供の頃にワクチンを打ってもらえなかったせいである、というふうに。

口には出さないが、そんなことはありませんよ、とセキグチは思う。相手の顔を思い出せないのは自分も同じだからだ。なにしろ非定常者は5年もすれば顔が変わる。皮膚はたるんで皺だらけになり、髪は薄く白くなる。そうした変化をごまかすためにファッションや化粧を変えるため、ますます区別がつかなくなる。

柞刈湯葉・書き下ろし短編SF──『不老者ファーストジェネレーション』

老いがもたらす病は多岐にわたるが、患者の数は少ない。医療をビジネスと考えると、これほど効率の悪い部署はない。このため院内の設備は少なく、毎日送られてくる老いた人間たちから、本格的な治療が必要な患者を選び出し、大学病院への紹介状を書くことがセキグチの主な仕事だ。ひ とりの患者を長く診ることはなく、顔も覚えられない。

「先輩って、なんで中年科やってるんですか?」

診察時間を終えて帰り支度をする途中、コウダにそう尋ねられた。質問の意図を問うと、

「前々から聞きたかったんですが、先輩って見た感じ、すごく優秀じゃないですか。人気の科に行こうと思わなかったんですか」

と返される。そう見える理由はわからなかったが、彼の意図はよくわかった。

中年科の医師がよく言われる嫌味だ。80歳で死ぬ人間を81歳まで生かすことに、なぜ限られた医療のリソースを使うのか、そういうあり方に疑問を持たないのか、そう彼は問うているのだ。

やはり彼は若いのではないか、とセキグチはふと思う。自分が医師になった頃はまだ、社会は老いゆく中年であふれており、限られた寿命といずれ死ぬ運命の中で生活の豊かさを追求するのが医療の役割だった。

定常化ワクチンが普及したことで、その根本は大きく変わった。人の死とは十分な注意によって避けられる事故であり、その注意を隅々まで張り巡らせるのが医療だ。未接種者を見つけ出し死の運命から救い出すのも、そうした注意の一環だ。中年科に来る患者はもはや本質的に医療の対象外である。80歳で死ぬ者を81歳まで生かすのに、なぜ限られたリソースを投入するのか。そのような考え方が、とくに若い医師たちに蔓延しつつある。

そういう手合には慣れてしまっているため、セキグチはコウダに対して通り一遍の反論を述べた。人間は生きている限り、十分な医療を受ける権利がある。重篤な病人である彼らには、それだけ多くの医療が投入されるのが当然だ。いま中年として病院に来る彼らは、生まれた年で言えば自分に近い。環境によっては自分もああなり得た姿だ。なり手の少ない中年科を担うのは自分の責務だ。等々。

患者を目の前にした時にはそんなことは思わない。セキグチは決して患者に対して心を開かないようにしている。その心の中に収まっているものが、医療者にふさわしくないものであると誰よりも知っているからだ。座ったセキグチは工員で、患者はラインに流れる部品で、彼らの権利として定められた医療をこなしていく。そう思うのが一番効率的だからだ。そうすれば、より多くの老いゆく者に、必要な医療を提供することができる。

業務時間を終えると終業時診断が行われる。手首につけたバンドが3分ほどかけて体内のさまざまな情報を測定し、健康に検出可能な害を及ぼしていないかを確認する。医療のみならずあらゆる事業所での毎日の義務だ。職務が理由で従業員の健康に影響などがあれば、営業停止処分を食らうことさえあり得る。

老化が消滅したことで、人々の健康への不安はむしろ増加した。それまで健康とは80年の人生を100年にするだけの延命措置であり、他のさまざまな人生の価値と比較可能だった。寿命を縮めてでも太く短く生きるという価値観が許容される時代だった。しかし老いのない世界の不健康は、理論上は1000年でも生きられる可能性を放棄することにほかならない。今は健康に対して、過去のどの時代よりも「正解」であることが求められる。

診断を終えたセキグチは、自宅と逆方向に車を走らせる。病院のある市街地を離れ、後方に過ぎていく街灯がまばらになっていく。県境をひとつ越え、山と山の隙間にある小さな盆地に、ひとかたまりの住宅地がある。

そこはセキグチが生まれ育った、かつてニュータウンと呼ばれた町だ。通っていた小学校は生徒数の減少で中学と合併され、その跡地が住居型の介護施設になっている。かつて校庭だった場所に車を停めて玄関に向かい、玄関カメラで顔を認証するとドアが開く。忙しそうに歩き回る介護士たちに挨拶をしながら廊下を奥に進んで、自分の姓が書かれた個室の扉をゆっくり開くと、六畳間の奥には電動式の大きなベッドがあり、その中で父が小さくなって眠っている。

人の気配に気づいて、皺の中に埋もれた目がゆっくりと開かれる。父さん、とセキグチが声をかける。

父は目線をこちらにやる。目覚めたばかりの頭では視覚と記憶の区別が曖昧だ。いま我が子が部屋に立っているのか、そういう夢を見ているのかわからない、というような顔をしている。

介護士がやってきて、父の近況について話す。相手が医師ということもあって、父の状態について話す彼にはいつも少し緊張が見られる。

「元気に過ごされてますよ。先週はお彼岸でしたから、おはぎを2個も食べたんです」

と介護士は言う。セキグチは決して口にはしないが、父をどの角度から見ても、「元気」という言葉を差し込む隙が見えない。

父は病気だ。

ひどく重い病だ。彼が病でなければこの世に病はないというほどに、一分の隙もなく病んでいる。

ただセキグチが診ている患者たちとは違いがある。92歳になる父にとってのその病は、人間の運命、生命の本来あるべき姿であることだ。老いに抗うことは自然への反逆である。不老不死を求めた始皇帝は水銀の毒で死期を早めた。皆とともに老いていくことが人間の幸福である。そういう常識の蓋がついた鍋の中で、誰もがゆっくりと茹でられて死んでいった。

セキグチが生まれた年に、その蓋はあっさり割れた。厚生福祉省が定常化ワクチンを認可し、すべての10歳の子供に接種すると決まった。啓蒙のためのポスターが貼られたが、すぐに周知の必要すらない常識となった。

かつて運命だったものは、ただの遺伝性疾患のひとつになった。医師たちは投げた匙を拾った。

セキグチはかばんからタブレットを取り出し、文字サイズを目一杯拡大した書類を父に見せる。来年度からの年金制度変更に伴う手続きだ。これから数十年かけて老化する高齢者が激減するため、老齢年金を順次的に廃止し、障がい者年金に一本化するというものだった。

父はセキグチの話を聞いて、うん、うん、と頷いて、震える指をタブレットに押し付ける。生体認証が行われて手続きが完了する。セキグチの感覚では自然に思える制度変更だが、今の彼が眼の前にある書類をどのくらい理解しているのかはわからない。父はかつて、セキグチの知る中でもっとも理性的な男であった。

個室の隅には小さな棚がある。タオルと着替えと何冊かの本と、3枚の写真が飾られている。1 枚目はセキグチが高校の制服を着て卒業証書を持っている。2枚目はセキグチが生まれたばかりの息子を抱えている。3枚目はセキグチが息子といっしょに小学校の校門前に立っている。

棚の上には小さな鏡があり、今の自分は3枚の写真と同じ顔をしている。息子がいなければ撮影時期がわからないかもしれない。

時計が9時を指すのと同時にセキグチは立ち上がり、帰ろうとして玄関に向かうが自動ドアが開かない。

「すみませんセキグチさん、最近なんだか歪んじゃったみたいで」

先ほどの介護士が駆けつけて、ドアの隙間に手をかけて、本来モーターで開くはずの重いドアをぐっと引くと、

「改修の予算がつかないんですよ。いま入居されている方々が最後になるでしょうから、上も及び腰ですし」

とつぶやく。

ニュータウンだった町を出て来た道を戻り、病院を通り過ぎて駅前のマンションに車を停める。エレベーターで6階にのぼり、真っ暗な自室の照明をつける。シャワーをあびていつもどおりの時間に眠る。食事と同じで、生活時間もリズムが何よりも大事だ。

単身者用のマンションに置かれたセキグチの私物はごく少ない。見た目は父の住む介護施設と大きな差がない。違いといえばベッドが電動式でないことと、息子の写真がどこにも飾っていないことだ。そういうものを置いてしまうと、時間がきちんと流れていかないような気がする。

柞刈湯葉・書き下ろし短編SF──『不老者ファーストジェネレーション』

翌朝病院に来ると、ちょっとした事件が起きている。

小児科のはずのコウダがなぜか整形外科にいる。転科ではなく事故であり、医師ではなく患者である。骨折した足をギプスで固定されて、勝手知ったる病院の椅子で堂々たる態度で座っている。

セキグチが近寄ると、コウダの体からかすかに覚えのある臭いがする。かつて夜遅くに帰った父がよく発していた臭いだ。

酒を飲んでいたのか? と尋ねると、

「内緒にしておいてくださいよ」

とコウダは笑って答える。

「近くに今でも酒を出す店があるんで、たまに飲みに行くんですよ。昨日はちょっとやりすぎて、ふらついて歩いて帰ったら側溝に落ちちゃいましてね。車道でなかったのが不幸中の幸いですよ。店はとてもいい場所なので、先輩もよかったら行きませんか」

飲酒は違法ではないが、医療関係者が堂々と言うようなことではない。それが原因で怪我をしたのならなおさらだ。

アルコールの有害性は、定常化ワクチンが普及する以前から明確であった。人間の判断力を損なわせてトラブルを招くのみならず、習慣的に飲酒することで内臓をじわじわと蝕んでいく。そんなものが嗜好品の王座にあったという歴史は、老化する人間が健康に無関心であったことの象徴になっている。不老の第一世代であるセキグチはかろうじて飲酒文化に縁があるが、下の世代にとっては「なぜか摘発されない劇物」という扱いだ。

「大丈夫ですよ。もう少し再生医療が進歩すれば肝臓ごと交換可能になりますから。我々みたいに健康にせこせこ気を遣う時代もいずれ終わります」

セキグチは呆れてため息をついた。そうした新技術はしばしば院内でも話題になるが、現場の医師たちは皆どうにも渋い顔をしていた。古くなった内臓を取り替えるような不自然な行為をすれば、なにかしらの天罰が下るような気がするからだ。

「そういえば、整形外科のほうの皆さんが噂してましたよ」

何を? と尋ねると、コウダは周囲をちらっと見て、誰もいないことを確認してから、「先輩が、前の病院に勤めていた頃、息子さんを亡くしたらしいって」

とつぶやいた。

「気をつけたほうがいいですよ。若い連中はいつも、上のほうの椅子を空けるチャンスを待ってますから。いや、先輩は中年科だから大丈夫だと思いますが」

軽く頷いてコウダから離れ、セキグチは職員用のトイレに向かう。個室に座ってひと呼吸する頃には、すでに心拍数がひどく荒んでいる。

あれは事故だ。

10歳だった息子が、ワクチン接種の帰り道で交通事故に遭ったという、自分の力の及ばないところで起きた完全なる不幸だった。

だが、とセキグチはいつも思う。あの時に自分が病院に連れていけば、と何度も考える。10歳となって芽生え始めた自立心をあえて折るような真似をしてでも、子供の安全を守るのが親としての責務だったのでは、と思う。

そんなことをいくら考えても、なんの未来にもつながらなかった。だがセキグチがそうした内心の大波に揺られている間に、社会のほうは着々と物事が進行していった。

組織内の地位を一度確立すると、定年退職で抜けるということがない。そうなると、出世を狙う若者たちの目は、おのずと上層部の粗探しになる。そして「子供を亡くした」という過去は、医療関係者にとって致命的な傷だ。

老化しない体を持ち、それゆえに死を極端に恐れる定常者たちにとって「不健康」よりも更に忌まれているのが「不吉」だ。住宅での死者が不動産価値を下げるように、近親者の事故死はその人間の社会的価値を損ねる情報になっている。死者が実子となればなおさらだ。自分の子供すら守れなかった者に、誰を死から遠ざけることができるのだろう?

息子の死からほどなくして、セキグチは配偶者と別れ、勤務先を変えた。家族は老いていく父だけとなった。

呼吸を整えてトイレを出て、診察室に向かう。午前の診察開始まであと8分。

途中で小児科の待合室の横を通り過ぎる。今日も10歳になった子供たちが、ワクチン接種のための列に並んでいる。セキグチはそれを見るたびに、かつて10歳だった自分の息子を思い出す。

中年科に向かい、午前の診療を始める。

1日ごとに老いていく患者たちに、今日もその場しのぎの延命を施していく。遠くない死が運命づけられている人間たちだけが、自分が関わることが許される。そんな気がしている。

医療の進歩は老いを克服した。不健康にもいずれ打ち勝てるだろう。ひょっとしたら、死すらも退ける未来が来るのかもしれない。

だが過去の死は医療の手が届かない。それに出会ってしまった者は、時計の針を回して、過去を視界の外に追いやるしかない。自分たちはそうやって、長い長い時間を渡っていける体を手にした最初の世代なのだから。

昼休みになり、安全なカップライスを食べる。イカとエビの味がするから今日は木曜日だ。終わりのない流れの中で、セキグチはただ時間が早く過ぎることだけを願っている。

柞刈湯葉|YUBA ISUKARI
小説家・マンガ原作者。福島県生まれ。大学の研究職(生物学系)を経て、2016年『横浜駅SF』でカクヨムWeb小説コンテストSF部門大賞を受賞しデビュー。著書に『重力アルケミック』『未来職安』『人間たちの話』『まず牛を球とします。』『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをす る』など。マンガ原作に『オートマン』『ぬのさんぽ』、旅行エッセイ集に『SF作家の地球旅行記』など。

(Edited by Tomonari Cotani)

※『WIRED』によるVOL.59 Future of Healthの関連記事はこちら。


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