オーストリア第3の都市・リンツ。ここを拠点に、アート、テクノロジー、社会の交差点を探究してきたのが、世界有数のクリエイティブ機関「アルスエレクトロニカ」だ。1979年に始まったメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」に加え、1987年以降は国際コンペティション「プリ・アルスエレクトロニカ」も開催している。
9月9日から13日まで開催される2026年のフェスティバルのテーマは「Future Begins – Negotiating Humanity」。人工知能(AI)をはじめとしたテクノロジーの急速な進化や人間以外の生命との関係、さらには人間同士の差異や対立を見つめながら、「人間性とは何か」「それとどう折り合いをつけていくのか」を問う作品が多く寄せられた。プリ・アルスエレクトロニカ・ヘッドの小川絵美子が、受賞作に通底する潮流を読み解き、そこに映し出される社会の変化を解題する。
※このトークはポッドキャストで配信されています。以下は記事としての読みやすさを考慮して編集しています。
人間性と、どう折り合いをつけていく?
小川絵美子(以下、小川) 26年のテーマは「Future Begins – Negotiating Humanity」です。そこで問われているのは、急速に変化する世界のなかで、わたしたちが自らの人間性とどう向き合い、折り合いをつけていくのか、ということです。
25年は「PANIC – yes/no」、24年は「HOPE – who will turn the tide」がテーマでした。この3年間に通底しているのは、目まぐるしく変わる社会を前に右往左往しながらも、わたしたちはどう応答すればいいのかを模索してきたことです。
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その流れを受けて、今年はさらに一歩踏み込んでいます。変化のなかで人間らしさを獲得しようとするなら、社会が答えを出すのを待つのではなく、わたしたち自身が動かなければならない──そんな意志が込められたテーマになっています。
今年の受賞作も、AIをはじめとするテクノロジー、人間以外の生命、そして人間同士の差異など、扱う題材は多彩です。それでいてどの作品にも「人間性とは何か」という問いへ立ち返るための要素が織り込まれています。
例年、アルスエレクトロニカ・フェスティバルでは、プリ・アルスエレクトロニカの受賞作に加え、欧州委員会が主導する「S+T+ARTS Prize」の受賞作も紹介されます。今年は、両賞から選ばれた作品が、偶然にも「Negotiating Humanity」というテーマに響き合うものばかりでした。そこで、両賞の最優秀賞にあたるゴールデン・ニカとGrand Prizeを受賞した計6作品を「Negotiating Humanity展」として展示しています。
26年のプリ・アルスエレクトロニカでは、「New Animation Art」「Digital Humanity」「Interactive Art+」、そして19歳以下のユースアーティストを対象とする「u19–create your world」の4部門から、それぞれ1作品、計4作品がゴールデン・ニカに選ばれました。
今回はそのなかから、「New Animation Art」と「Digital Humanity」のゴールデン・ニカ受賞作、「Interactive Art+」のゴールデン・ニカ受賞作と同部門からNegotiating Humanity展に展示されることになったもう1作品、さらに「S+T+ARTS Prize」のふたつのGrand Prize受賞作を紹介します。
New Animation Art部門


小川 従来のアニメーションの枠を超え、その表現の可能性を探る「New Animation Art」部門。今年、ゴールデン・ニカに選ばれたのは、米国のアーティスト、アンドリュー・ヘルツォークによる約30分の映像作品《Deer Hunter》。虚構と現実の境界に立つドキュメンタリーです。
タイトルが意味するのは、文字通り「鹿を狩る人」。映像には、シカが繰り返し登場します。作品の軸にあるのは、イタリアと米国をまたぐ、数世代にわたるヘルツォーク自身の家族史。記憶や対話をたどりながら、狩猟が象徴してきた男性性と現代の父親像を重ね、男らしさとはいったい何かを、非常に詩的に問いかけます。力強さを誇示するのではなく、むしろ弱さやためらいを前景化しているんです。
映像のつくりにも仕掛けがあります。背景の建築や街並みは実写ですが、そこに姿を現すシカは生成AIによってつくられています。すごく自然に溶け込んでいるんです。さらに、狩りと男性性の結びつきを語る1970年の全米ライフル協会の映像や、アーティストの家族がシカを追うホームビデオも差し込まれています。
家族の物語やAIが生み出す虚構。それらが重なり合い、次第に現実と虚構の判断がつかなくなっていくんです。だからこそ鑑賞者は、「これは本当に起きたことなのか」と疑いの目をもって見ることになります。ドキュメンタリーの形式そのものがとても実験的で、わたしたちの“当たり前”を揺さぶる作品です。
Digital Humanity部門

小川 テクノロジーの革新性だけでなく、それが社会にどのような変化をもたらしうるのかを問う「Digital Humanity」部門。今年のゴールデン・ニカを受賞したのは、《Open Digital Infrastructure for Shared Histories Cultural Heritage》です。
このプロジェクトの出発点となったのは、2021年にザンビア女性歴史博物館(Women’s History Museum of Zambia)とスウェーデン国立世界文化博物館群(Swedish National Museums of World Culture)が始めた共同プロジェクト「Shared Histories」でした。ザンビアに由来しながら、現在はスウェーデンの博物館に収蔵されている文化財をデジタル化し、長い時間のなかで記録から抜け落ちてしまった口承の記憶や文脈をともに結び直す試みです。
会場では、AR(拡張現実)を通して収蔵品を鑑賞できます。眼前にあるのは、空っぽのガラスケース。ケースは確かにある一方で、その中身は存在しない。この「不在」を目にすると、わたしたちは本能的に違和感を覚えます。モヤモヤを抱えながら未来へと向かうストーリーテリングを考えていくこと──それを象徴するような設計です。
もうひとつ興味深いのは、展示が来場者に問いを投げかけるようになっていること。新たに取り戻された記憶に触れて、収蔵品そのものや、それを手がけてきた人たちに何を聞きたいのか? そして、そのインタラクションから何を学べるのか。文化財の保存や公開方法を考えるうえでも示唆に富むプロジェクトです。
Interactive Art+部門


小川 「Interactive Art+」部門には今年、4部門で最多となる1,757作品の応募がありました。そのなかからゴールデン・ニカに選ばれたのが、ロンドン大学ゴールドスミスを拠点とする調査機関Forensic Architectureの《A Cartography of Genocide: Israel’s Conduct in Gaza Since October 2023》です。
このプロジェクトの特筆すべき点は、テクノロジーの使い方。一つひとつのデータを法科学的、つまり法廷に証拠として出せるよう構造的につくっているんです。対象になっているのは、23年10月以降、ハマスによるテロ攻撃を受けて始まった、イスラエル軍のガザ地区における軍事行動。
これがいかにパレスチナの住民を追い詰めているか、その行動をパターンとして特定するためにデータを集め、独自の分析方法で裏取りし、事実として認定できるものを選び取りながら再構築しています。ウェブ上のインタラクティブマップを操作して、地域や期間、出来事のカテゴリーを指定すると、再構築されたデータがガザの地図上に浮かび上がるんです。
リンツ市はヒトラーゆかりの地でもあり、反ユダヤ主義には特に敏感な土地。記者会見で市長は、審査のアーティスティックな評価や独立性を尊重し、ジェノサイドの認定とはまったく別物だと強調しています。鑑賞者に一歩引いた視点をもたらす作品とも言えますね。まさに「Negotiating Humanity」というテーマを体現する作品だと思います。
もうひとつ紹介したいのが、Award of Distinctionを受賞した《CHIMERIA》です。日本のアーティスト・花形慎さんによる作品。カメラとヘッドマウントディスプレイを使って目の位置を身体の別の場所へ移し、人間らしさの解体を試みたアートです。

《CHIMERIA》
© Shunsuke Shimura
《CHIMERIA》
© Shunsuke Shimura例えば、カメラをつま先に装着すると、足が頭に、脚が首になったかのように知覚されます。視野を広げようと足をもち上げれば、手が地面に着き、もう片方の足でバランスを取るようになる。まるでダチョウのような姿勢になっていくんです。すると、身の回りの環境が、人間の目の高さを前提にデザインされていることに気づかされます。目の位置が変わると、階段や食器棚がうまく機能しなくなり、たちまち障害物になってしまうのです。
花形さんは5人の参加者とともに、新宿の一軒家で2週間をすごすという社会実験を行ないました。映像には、変容した身体で生き延びるための道具や、膝の位置から排尿する装置が生み出されていく過程も収められています。幼いころから身につけてきた身体知覚があっという間に崩れ、組み直されていく様子を見れば、人間らしさがどのようにつくられているかを意識させられます。
S+T+ARTS Prize

小川 「S+T+ARTS Prize」は、アートによって科学技術や産業、社会のイノベーションを触発するプロジェクトを表彰する欧州委員会の賞です。毎年、「Artistic Exploration」と「Innovative Collaboration」の2部門からGrand Prizeが選ばれます。
Grand Prize – Artistic Explorationを受賞したのは、ドイツのアーティスト、ヒト・シュタイエルによる《Mechanical Kurds》。シングルチャンネルの映像と空間的な要素を組み合わせたインスタレーションで、デジタル労働とAI、地政学的な紛争の結びつきを扱うシリアスな作品です。
映像の中心となるのは、イラク北部の都市アルビルにある難民キャンプで暮らす、シリア出身のクルド人難民3人へのインタビューシーンです。このエリアはクルド人自治区ですが、シリア出身であるが故に難民キャンプに住まざるをえない状況であることや、データワーカーであるという点もだんだん明らかになるんですね。
タイトルが参照しているのは、18世紀につくられたチェスの自動人形「メカニカル・ターク」。自律して動いているように見えながら、内部には人間の操作者が隠れていました。この作品では、自動化の背後で見えなくなっている人間の存在が浮かび上がります。
安全な自律走行車に乗り、軍事用ドローンを操っているのは誰なのか? 搾取のうえで、恩恵を受けるのは誰なのか? 機械の目をつくる人々が、その技術によって生み出される暴力にさらされるかもしれない──不条理な事実を突きつける作品です。


もうひとつ、Grand Prize – Innovative Collaborationを受賞したのが、アグネス・マイヤー=ブランディスによる《Office for Tree Migration》です。気候変動に伴って、木々が北へ、高地へ、あるいは泥炭地へと生育域を移していく現象を追う、長期的なアート&リサーチ・プロジェクトです。
問題は、気候変動の速度が、木々が自然に適応し、移動していく速度を上回りつつあること。そこでマイヤー=ブランディスは、フィンランドの研究者たちと協働し、木の移動速度を人為的に支援する「Assisted Migration Trials」を実施してきました。生態学的な観測と独自の装置を組み合わせながら一本の木を少しずつ動かし、記録しています。
そのひとつが、特殊なソリを使って、一本の木を1日約70cmずつ移動させる試みです。先行する一本の移動を支えることで、ほかの木々の移動も促す。いわば、森における「ファーストペンギン」をつくるような、何年にもわたる地道な実験です。
その軌跡を体感できるのが、110分ほどの映像インスタレーション《As Trees Go By》です。じっと眺めていると、木の移動が遅いのではなく、わたしたちがあまりにも人間中心の時間感覚で世界を見ているのだと気づかされます。《CHIMERIA》にも通じるように、人間の知覚は、変化に抗って慣れ親しんだ感覚へ戻ろうとする一方で、新たな環境に適応しようともします。ここに広がるのは、人間の時間感覚をいったん手放し、木々が生きる時間に身を委ねるための空間です。
折り合いを見つけ続けること
小川 今年の受賞作には、身体性や政治、デジタルインフラ、エコシステムなど、人間だけでは捉えきれない領域を扱う作品が数多く集まりました。そこから見えてくるのは、人間とそれ以外の存在の間に、固定された境界線があるわけではないということです。
だからこそ、わたしたちはその関係を絶えず「Negotiate」──交渉し、折り合いを見つけ続けなければならない。アーティストたちはそれぞれの領域の最前線に立ち、作品を通して、まだ見ぬ世界の一端を追体験させてくれます。
彼ら/彼女らの視点や洞察に浸り、再び日常へ戻ったとき、自分のなかで何が変わっているのか? 作品を体感した皆さんと、ぜひその変化について話してみたいと心から思っています。
小川絵美子|EMIKO OGAWA
プリ・アルスエレクトロニカ・ヘッド。オーストリア・リンツを拠点にするキュレーター、アーティスト。2008年よりアルスエレクトロニカに在籍、新センター立ち上げに携わり、以降、フェスティヴァル、エキスポート展示のさまざまな企画展のキュレーションを担当。13年より世界で最も歴史あるメディア・アートのコンペティション部門であるPrix Ars Electronicaのヘッドを務める。

