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AIが計算機科学の常識を覆す? 数十年にわたる研究が「無意味」になる衝撃

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ピーター・ヨンソンはスウェーデンのリンショーピング大学の教授だ。彼の共同研究の成果は、理論計算機科学の分野で最も権威のある国際会議のひとつ、IEEE計算機科学基礎シンポジウム(FOCS)(11月8〜11日、ニューヨーク開催)でまもなく発表される予定になっている。ところが、ヨンソンは自身が関与した研究の大部分が「もはや意味をなさなくなった」と話す。人工知能(AI)が、研究の土台となっていた27年来の仮説を覆すとされる証明を提示したからだ。

OpenAIとAnthropicは10月末、いずれも「指数時間仮説(ETH)」を反証したと発表した。この仮説は、ある種の問題では、規模が大きくなるにつれて解くために必要な計算時間が指数関数的に増えるというものだ。理論計算機科学では、これを前提に、計算複雑性やアルゴリズムの設計に関する膨大な研究が積み重ねられてきた。

ヨンソンは、自身と同じような事態に直面する研究者が、FOCSでは「続出するだろう」と予想している。学会では、共同研究者のひとりがヨンソンとの共同研究の成果を発表することになっている。

「発表者たちは講演の冒頭で、こんなふうに切り出すことになるでしょう。『ETHが誤りだとわかったので、論文の半分は成り立たなくなりました』」ヨンソンは頭の痛い問題と認めながらも、こう続ける。「でも同時に、そこから学べることもたくさんあります。それこそが科学というものです」

研究者ら、AIによる証明の検証へ

OpenAIとAnthropicはいずれも、AIが生成した証明を、自然言語による記述とコンピューターで検証可能な形式言語「Lean」の両方でGitHubに公開している。しかし、研究者による独立した検証はまだ行なわれていない。また、研究者たちは証明の内容を十分に理解する時間も確保できていない。

OpenAIは、この仮説を最初に提唱したカリフォルニア大学サンディエゴ校の計算機科学者らと、ETHのある変種を反証したマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者に協力を求め、証明の内容を詳しく検討するために研究者を結集しようとしている。これまでのところ、Googleフォームを通じて協力者や意見を募っているほか、OpenAIはこの問題をテーマとする学会の開催費用を負担すると約束している。

カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授、ダニエル・ロクシュタノフも、この取り組みに参加する予定だ。今回の結果が正しいと確認されれば、自身の研究が「天文学的なほど大間違い」だったことになり、発表済みの約50本の論文が「無意味」になるか、再検討を迫られることになると見積もっている。

「この研究分野のど真ん中に、巨大な爆弾が投下されたようなものです」とロクシュタノフは話す。「ものすごく興奮する出来事であると同時に、恐ろしいことでもあります」

研究が覆されても「素晴らしい発見」

コペンハーゲンIT大学でアルゴリズム研究グループを率いるトーレ・フスフェルトは、今年の大半、専門分野のあるひとつの問題に取り組んできた。「どうやら、この問題について考えてきたことがすべて意味を失ってしまったようです」と『WIRED』に語る。

フスフェルトは、今回OpenAIが反証したと発表した仮説の一形態を最初に定式化した研究者でもある。「一世代に一度あるかないかの成果」によって、自身のほかの研究にも、もはや意味をなさなくなったものがないか、黒板に数式を書きながら検討を続けている。

AIモデルが生み出した証明によって研究分野の根幹を揺るがされ、意気消沈する数学者たちもいる。だが、フスフェルトは今回の成果に興奮を隠さない。

「素晴らしい発見です」とフスフェルトは話す。「数学者というのは、真っ暗な部屋を手探りで歩き回るようなものです。ところが突然、誰かがこの研究分野全体を投光器で照らし出してくれたようなものなのです。いまや、わたしたちは大はしゃぎするウサギのように駆け回り、これまで見えなかった隅々まで探索できるようになりました。本当にわくわくする時代です」

不安を募らせる研究者たち

何世紀にもわたり、科学は仮説を立て、それが誤りであることを証明することで進歩してきた。また、研究者が別の研究グループに先を越されたり、研究成果を覆されたりすることも珍しくない。

だが、AIはこうした動きを加速させ、研究計画全体を無意味にしかねないほどの影響を及ぼしている。数学や科学の特定の分野では、機械が人間を上回る能力を発揮するようになったいま、研究者たちは自分たちの立場がどうなるのかと不安を募らせている。

「ここ数カ月は本当につらい時期でした。暗い話ばかりです。毎週、あるいは隔週のようにAIによる新たな成果が発表され、そのたびに大勢の研究者が取り組んでいるプロジェクトが根こそぎ無意味になってしまうのです」と、フスフェルトは語る。「多くの人にとって、精神的にかなりの負担になっています」

フスフェルトの所属する研究部門では産業心理学者の採用を検討したほどだという。「ひどく落ち込んで、悲しみに暮れている人もいるのです」

研究者たちはまた、AIによって生み出される大量の論文や研究資料にも圧倒されている。そのなかには、質の低いものも含まれている。インタビューの途中、フスフェルトのもとに、見知らぬGmailアカウントから17ページの論文が届いた。ETHの反証がもたらす影響を論じたもので、AIが生成したものではないかと疑っているという。フスフェルトは読むつもりがない。「数学の論文を読むには、相当な時間と集中力が必要なのです」

こうした状況にはOpenAI自身も直接拍車をかけている。同社は10月初め、722本の原稿をGitHubで一挙に公開し、研究者たちの不興を買った。大量の原稿をまとめて公開されても、その内容を十分に把握するのが難しいというのだ。

さらに、いくつかの文書には誤りが含まれており、研究者たちは不満をいっそう募らせた。一部の数学者は、こうした拙速な公開について、研究分野の発展を促すためではなく、OpenAIが計画している新規株式公開(IPO)に向けて注目を集めるためのものではないかとみている。

ただし、今回のETHに関する約60ページの論文については、これまでにOpenAIが公表した資料よりもよく書かれているようだと、研究者たちは『WIRED』に語っている。研究者たちはいま、論文の内容を急いで読み解き、そこからさらにどのような成果を導き出せるか探っている。

仮説が崩れた先に見えるもの

ETHが誤りであり、問題が複雑になっても解決に必要な時間が必ずしも指数関数的に増えるわけではないとすれば、「実にわくわくする話です」と、リンショーピング大学のヴィクトル・ラーゲルクヴィスト准教授は語る。ETHが正しいという前提から、かつて諦めた研究課題に再び取り組むつもりだという。

OpenAIの今回の発見は、ウェブのセキュリティを支える暗号技術にも影響を及ぼす可能性がある。暗号技術は、特定の数学的な問題を解くのには現実的に不可能なほど、膨大な時間がかかるという前提に基づいているからだ。今回の成果が暗号技術に直接影響するわけではないものの、「暗号システムの設計者のなかには、間違いなく危機感を抱く人がいるはずです」と、ロクシュタノフは語る。

だからこそ、理論計算機科学の分野では、人間の手による研究もAIを活用した研究も続けることが重要なのだと、フスフェルトは付け加える。「計算について、わたしたちが何を誤解しているのかを、開かれた科学研究のプロセスを通じて明らかにしていく必要があります。現代のデジタルインフラの多くが、計算に関する一定の前提の上に成り立っているのですから、なおさらです」

一方、リンショーピング大学のヨンソンは、ETHが正しいことを前提とした自身の論文や、ほかの研究者による論文を見直すつもりだという。学会発表を予定している自身の論文も、別の手法を使えば、いずれは何とか生かせるかもしれないと考えている。

OpenAIによる証明の詳細を調べ、そこから何を学び、新たな問題にどう応用できるのかを探るのが楽しみだという。今回の成果によって自身の研究の前提が覆される可能性があるとはいえ、ETHの正否が明らかになることは、以前なら「夢のような話」でしかなかったのだ。「本当にわくわくする時代です」と、ヨンソンは続ける。「研究者としてのキャリアのなかで、こんな経験ができる人はほとんどいないでしょう」

「その証明を人間が書いたのか、AIが書いたのか、あるいは宇宙人がわたしたちに送ってきたのかは、どうでもいいことです。正しい証明であるなら、これからの研究に活用していけばいいだけの話です」

(Originally published on wired.com, translated by Miki Anzai, edited by Mamiko Nakano)

※『WIRED』による人工知能(AI)の関連記事はこちら。数学の関連記事はこちら。


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