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ルポライター
異様なまでに“自らの責任”を引き受けた岡田資
1945年8月15日、玉音放送が流れた。多くの日本人にとって、それは戦争の終わりだった。しかし、その後アジア太平洋各地で開かれたBC級戦犯裁判では、約5700人が有罪になった。捕虜虐待や捕虜・民間人の殺害など、戦場で行われた戦争犯罪の責任が問われたのである。
そこで繰り返し問題になったのが、誰が責任を負うのかということだった。
命令を下した上官なのか。それとも、その命令を実行した部下なのか。あるいは、部下の犯罪を止めなかった指揮官にも責任があるのか。部下の戦争犯罪の責任を上官に問う法理は、現在「指令統制責任」と呼ばれる。戦犯裁判研究者の戸谷由麻は、この指令統制責任論(command responsibility)がBC級の法廷で広く適用されたことに着目している(戸谷由麻『不確かな正義 BC級戦犯裁判の軌跡』岩波書店、2015年)。
そうした戦犯裁判のなかで、異様なまでに自らの責任を引き受けようとした軍人がいる。
岡田おかだ資たすく陸軍中将である。
東海軍管区司令官だった岡田は、名古屋などへの空襲で撃墜され、捕虜となった米軍B29搭乗員38人の処刑をめぐって責任を問われた(U.S. Eighth Army, Judge Advocate. n.d. “Reviews of Yokohama Class B and Class C War Crimes Trials: Case Docket Number 289, Tasuku Okada et al.” World War II U.S. Army Courts, Asia-Pacific. Virtual Tribunals, Stanford Libraries.)。法廷では、部下が処刑に関与したのは自分の命令によるものだとして、その責任を自ら引き受ける姿勢を崩さなかった。
それだけではない。岡田は法廷で、B29による都市への無差別爆撃こそ国際法に反する戦争犯罪であり、処刑された搭乗員は戦争犯罪人だったと正面から主張した。
処刑の正当性は争う。しかし、その責任は自分が負う。この二つは、岡田の中でどうつながっていたのか。
小説と映画が定着させた“高潔な軍人イメージ”
こうした姿から、岡田は国際法を武器に「勝者の裁き」と戦い、同時に部下を守ろうとした「法戦」の軍人として語られてきた。
とりわけ、大岡昇平の小説『ながい旅』(1981年)と、それを原作とした映画『明日への遺言』(2008年)は、高潔な軍人としての岡田資のイメージを広く定着させた。
では、岡田資とはどのような人物だったのか。
岡田は1890年、鳥取県に生まれた。陸軍士官学校、陸軍大学校を経て、駐英国大使館付武官補佐官、第四師団参謀長、戦車第二師団長などを歴任した。1945年2月、第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官となった。
部下からの評判は良かったとされる。細かな気配りを怠らず、民間企業や工場の幹部とも積極的に交流した。「民間の知恵を借りよ」を旨とし、軍需生産の現場にも関心を向ける、軍人としては柔軟な発想を持った人物だった。
その岡田が直面したのが、1945年春に激しさを増したB29による本土空襲である。
