暇 ひまネタNEWS(^o^) | スキマ時間にちょっとしたネタを提供スキマ時間に、話題のまとめを一気読み 全サイト自動巡回中
HIMA NETA ORIGINAL READER
本文だけモード PC Watch IT・ガジェット 約9分で読めます

【三浦優子のIT業界通信】「困っている誰かを助けるための開発が原動力」アイオーデータ細野会長インタビュー

読みやすさ この端末に設定を保存します
書体
文字
背景

広告・ランキング・関連記事を除き、配信元の安全な文字装飾だけを残しています。

三浦優子のIT業界通信

  • 三浦 優子

2026年11月6日 06:39

アイオーデータ代表取締役会長兼社長の細野昭雄氏

 2026年にアイオーデータは設立50周年を迎えた。7月には社名を「株式会社アイ・オー・データ機器」から「株式会社アイオーデータ」に変更した。事業内容の変更は行なわず、「機器メーカー」にとどまらない価値提供を目指すという意味が込められているという。

 今回、創業者でもある代表取締役会長兼社長の細野昭雄氏にインタビューを行なった。当初は50年間の事業を振り返る内容を想定していたが、さすがに50年の歴史は重い。事業の一部を振り返るだけにとどまってしまった。

 ただし、その内容は、アイオーデータの歴史だけにとどまらず、コンピュータにさまざまな歴史や出来事に広がる内容となった。そしてマーケティング戦略で開発を行なうのではなく、何らかの困難な状況にいる人を助けるためにハードやソフトを開発し、製品化することでユーザーを獲得してきたアイオーデータという企業の特質が伝わってきた。

ミニコンを使った織機用システムから事業がスタート

 米国のPCメーカーには、HPやAppleのように「ガレージで誕生した」企業が何社もある。ベンチャー企業の誕生の場として、ガレージでハードやソフトの開発を行ない、そこから大きく成長していったというのが美しい誕生物語として語られる。

 日本では大手でそういう企業はないと思っていたが、アイオーデータはガレージで誕生した企業なのだ。細野社長の自宅ガレージからアイオーデータは誕生した。

 「私は石川県金沢市のガレージで創業しました。ただし、PCではなく、繊維機械から始まりました。ジャガード機械という織物機械があるんです。

 昔のコンピュータの記憶媒体としてパンチカードが使われていました。織機にも同じようなパンチカードが使われ、機械を制御していたんですが、そのパンチカードの穴は職人さんが手作業で開けていたんです。

 コンピュータを使って、織物の元デザイン画をスキャンして、コンピュータを介して、割と簡単な変換をするだけで、パンチカードの穴に柄を出せるのが分かったんで、それを作ってみたのが最初です」(細野氏)。

 50年前のことなので、このときに利用したのはPCではなくミニコンピュータだった。細野氏は、金沢でコンピュータ販売を行なっていた三谷産業からミニコンを購入。当時の国産ミニコンとして、富士通、日立、沖電気といったメーカーの製品を利用した。

 それなりに高額の商品だったが、利用者にとってはメリットが多いシステムとして高評価されたようだ。繊維産業が盛んな福井県、京都府の丹後地方、関東では群馬県桐生市、高級座布団の織物を作っている山梨県など全国に購入者があった。

 創業から幸先のよいスタートではあったが、「産業自体が斜陽だったこともあって、日本全国に30社くらいしか購入対象企業がないんですよ。17社くらいに売ったらそれで終わりでした」と、最初に開発したシステムのビジネスは終了することとなった。

爆発的に売れたPC-98用グラフィックスボードのLSI

 その後も織機関連のトラブルを回避するためのハードやソフトの開発を手掛けてきたが、PCの周辺機器メーカーとして認知されるようになったのは、どういう経緯からなのだろうか。

 「当時のコンピュータは、今のようにすべて揃っているわけじゃありませんでした。足りないものは作らないといけない。たとえば、当時のコンピュータはプリンタに文字を打てればいいという感覚だから、ディスプレイはラインアップされていませんでした。そこでブラウン管ディスプレイを使えるように、ディスプレイコントローラを作ったりしました」(同)。

 この話を聞くと、意識して「PC用周辺機器を作る企業になる」ということを目指したわけではなかったことが伝わってくる。最初の織機同様、「必要があるのに足りないものを、自分たちの技術を使って作る」ことによってビジネスが始まっていったようだ。

 「もう少し後の1980年代後半に当時大人気だったNECのPC-98用グラフィックスボードを開発したことがあったんです。LSIから自分たちで開発しました。当時のPC-98の解像度は640×400ドットでした。そこでグラフィックスボードを作れば、IBM-PC並にできるんじゃないかと思ったわけです。

 最初はLSIを起こすんじゃなくて、手作りの回路で作りました。ただ、アクセラレーターがついていなかったので、一度作り直しました。アクセラレーターをつけたことで、囲われたところを高速に描画できるようになりました」(同)。

 グラフィックスボードに搭載したLSIも自社開発し、当時、とある企業の半導体工場で製造を頼むこととなった。設計図を持ち込んで依頼をすれば製造を請け負ってくれる仕組みがあったからだ。ところが、このLSI製造は思わぬ波紋を呼ぶことになったのだという。

 「当時のPC-98はすごい人気だったじゃないですか。で、グラフィックスボードを発売したら予想を上回って売れちゃったんですよ。それはいいことなんだけど、委託先工場に頼んでいたLSIの数では足りなくなって、急遽増産してもらったんです。ただ、それが工場側で大騒動になってしまったんですよ」と細野社長は苦笑いした。いまだにそれを覚えているくらいなので、それなりの大事になったということだろう。

 この逸話のように、「こんなものが必要だけれど、なんとかならないだろうか?」という声を受け製品開発を行ない、実績を積むことで、アイオーデータはPC周辺機器メーカーとしての地位を築いていったようだ。

一番印象に残っているのはIOバンク

 細野社長に50年の歴史の中で印象に残る商品は何か聞いたところ、「IOバンクでしょうね」と答えが返ってきた。

 IOバンクについて、アイオーデータのホームページでは次のように説明されている。

 PC-9800シリーズ用増設メモリボード開発中に「限られたアドレス空間で大量のメモリを扱うテクニック」として『IOバンク方式』を考案した。

 IOバンク方式とは、メインメモリ640KBのうち最後部の128KBを“窓口”としてその奥に広がるメモリにアクセスできるようにする仕組みである。グラフィックス系などの大容量のアプリケーションが動くようになり、大きなデータも扱いやすいIOバンク方式は、業界での地位を確立した。そして1984年、当社はIOバンク方式を業界標準宣言し、情報公開をした

アイオーデータのサイトより

 このIOバンクが開発された1984年頃は、PC-98が売れ行きを伸ばしていた。ジャストシステムから「一太郎」が登場し、ロータスからは表計算ソフト「ロータス1-2-3」が登場し、人気を得ていた。

 「当時のPC-98は、メモリ空間が限られていたんですよ。たとえばワープロソフトは、辞書データがフロッピーに入っていました。そうすると変換するために、いちいちフロッピーディスクを入れ替えないといけない。

 何回もガチャガチャとディスクを入れて、読み込みに2~3秒かかって辞書で変換するわけです。これは手間だし、作業効率も悪い。

 そこで、メモリに辞書データが入っていれば、ディスクを入れ替える必要はないし、読み込みを待つ時間もいらなくなるじゃないですかとなってIOバンクを作ったわけです」(同)。

専業メーカーははたして正解か?

 グラフィックスボード開発を振り返り、アイオーデータ社内では、「グラフィックスボードをもっと極めていれば、自分たちがGPUの覇権企業になるチャンスがあったのではないか?」という声が出たこともあったそうだ。

 しかし、それに対し細野社長は、「それは難しかったと思う」と断言する。理由は明確で、「30年以上前は、グラフィックスチップを作っているメーカーは今よりもたくさんあった。しかも、みんな専業メーカーです。うちみたいなやり方では難しいと思います。

 でも、彼らは彼らで専業メーカーであるが故の苦労もあったと思います。環境がいろいろ変わる中で生き残っていかなければいけないから。結局、それで何社もあった企業が選別されていって、最後に残ったところが大きな利を得るに至ったわけです。でも、そこまで行くのは難しい」と指摘する。

 アイオーデータは、メモリ、ハードディスク、ディスプレイとさまざまな製品を手掛けてきた。

 細野社長は、「私は大多数が行くところには行かない」と自らを振り返る。しかも、「作っている最中は楽しいけれども、安定してうまくいき出すとちょっとつまんなくなっちゃうんです(笑)」というから、1つの事業にフォーカスするよりは、ほかの事業にも興味がいくのかもしれない。

 しかし、今回のインタビューで強く感じたのは、「困っている人がいる。自分たちの技術で、それを解決することができるかもしれない」と取り組んでいく姿勢が、アイオーデータという企業の原動力になっているのではないかということだ。

 実は2026年1月に開催されたプレス向けの方針説明会で、細野社長が医療向けシステムを新たに開始するという話をしたのを聞き、ちょっとガッカリしてしまった。需要がありそうなマーケットを見つけたので、そちらでビジネスをするということかと思ってしまったからだ。

 しかし、今回のインタビューでそれは自分の認識が間違っていたと痛感した。医療分野で困っている事象がある。自分たちの技術を使えば、その困難を解消できる。―おそらく、そう確信したから、医療分野のシステムを開発したということなのだろう。

 困難があれば、自分たちの技術で解決することがアイオーデータという企業のアイデンティティなのではないか。専業ではなく、さまざまな分野での困難に取り組んできたからこそ、商品分野が多岐にわたっているのだろう。

少し離れて見ているからこそ分かること

 最後に、AI台頭で大きな変化が起きている中、アイオーデータのこれから先の50年はどうなっていくのだろうか?細野社長にそう質問すると、「分かりません」と即答された。

 「私は100%口先だけですから。AIもまったく使っていないです。ただ、使っている人を遠くから観察するのは好きなんですよ。

 というのも、はまっている人は判断してはいけないんですよ。たとえると、恋をしている人に、あなたが好きな相手はどんな人?と質問しても、冷静な評価は返ってこないですよね?少し離れたところから見ている人間の方が冷静な評価をする。AIも同じで、少し離れたところから見て評価した方がいいんじゃないかと考えています」(同)。

 この話を聞いて、AI分野でも自分たちで困難を解消できるのではないかと考えれば、こう言いながらも細野社長は社員を叱咤激励しながら、新しい取り組みを始めることがあるのではないか?そんなことを思ったインタビューだった。

元のページを確認する

必要な場合のみ、広告などを含む配信元ページをフレームで表示できます。