かつて十数の酒蔵があり、全国屈指の酒どころとして「北の灘」と呼ばれた北海道旭川市。市中心部にある道北最大の歓楽街「サンロク街」を拠点に、各地の銘酒を扱い、人や情報をつなぎ、街の魅力を伝えるハブ作りに取り組むのが酒販会社「うえ田」社長、上田桂輔さん(41)だ。“映える”角打ちの店を開業し、数年で全国から注目される人気店にするなど、アイデアあふれる街の酒屋3代目に、日本酒の復権にかける思いや夢を聞いた。【聞き手・横田信行】
――家業を継ぐと決めていたのですか。
◆必ず継ぐと決めていたわけではありませんが、周りから「3代目」と言われ、意識はしていました。自分なりに将来を見据えビール会社に就職し、営業職として自社商品の取り扱いを増やそうと東京都足立区内で酒屋や飲食店を回りました。
――実際に酒販の現場で働いた感想は。
◆酒屋が安売りなど厳しい競争で疲弊していました。酒販免許が事実上自由化され、酒屋でなくともスーパーやコンビニで買えるようになったからです。
「うえ田」のように飲食店や宿泊施設などと取引する業務用卸だと、酒を売るというより、注文された酒を運ぶことが仕事に思えて将来に不安を感じました。どうしたらやりがいを持って生き残れるかを考え始めました。
――そんな時、日本酒に着目する出会いがあったんですね。
◆お世話になったある取引先の酒屋さんは、全国の地酒を扱って業績を上げていました。その酒屋の社長から「値段でどうこうするんじゃなくて、商品のラインアップで選んでもらう」という信念を聞き、「これだ」と思いました。2009年に祖父が亡くなったのを機に、古里に戻ると決め、こだわりの地酒を専門に扱う差別化で活路を見いだそうと決意しました。
――滑り出しは順調でしたか?
◆日本酒専門店ではなかったので、まず全国の酒蔵を訪ねて取引を持ちかけましたが、最初の5年ほどは50カ所ぐらい回って半数が門前払いでした。
見ず知らずの業務用酒販店なんて警戒するのはもっともで、当時は「分かる人だけ分かってもらえばいい」と考える蔵元も少なくありませんでした。
経営が思わしくない中、「経費で何をやっているんだ」と2代目の父に小言を言われ、めげそうになったこともありましたが、諦めず貯金を切り崩して酒蔵を訪ね歩いたこともありました。
――転機は。
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