中森明菜の「はじまりの夏」
歌手・中森明菜には、運命を変えたふたつの夏が存在する。
ひとつめは、1981年の夏。高校1年生だった彼女は7月11日に収録された公開オーディション番組『スター誕生』(日本テレビ系)でようやくデビューのきっかけをつかんだ。
中2と中3の挑戦では落選だったが、山口百恵の『夢先案内人』を歌って、番組史上最高得点で合格。4ヵ月後の11月に行われた決戦大会で、所属するレコード会社と事務所が決まり、翌年5月1日に念願のデビューを果たす。
ちなみに、合格した日は誕生日の二日前。16歳になる直前に「はじまりの夏」を迎えたわけだ。
しかし、ブレークまでは少し時間がかかった。
デビュー曲の『スローモーション』は上品な佳作として評価されたものの、オリコンチャートの最高位は30位。2ヵ月後に発売されたファーストアルバムを筆者は予約して購入したが、顔や歌声、作家陣が好みだっただけでその後の躍進を予想していたわけではない。
豊作といわれた82年デビュー組のなかで彼女が大きく抜け出し、松田聖子のライバルとまで呼ばれるようになると思っていた人はほとんどいなかっただろう。
なお、彼女の同期が豊作となったのは、80年に松田聖子が出現して、空前のアイドルブームが起きたことが大きい。81年はまだ間に合わなかったが、82年となるとさまざまな事務所やレコード会社が十分な準備をして新人を送り出すことができたのだ。
新人賞レースに参戦した女性アイドルでいえば、前年10月デビューの松本伊代が『センチメンタル・ジャーニー』のヒットで先行、第二集団がどんぐりの背比べをしていて、石川秀美や早見優、堀ちえみ、小泉今日子、三田寛子らに混じって明菜もそこにいたという印象だ。